2013年1月9日水曜日

トルコはやっぱりすごい国!

皆さん、お正月から一転。生活のペースは普段とおりに戻りましたか??


さてさて…
突然ですが皆さんは、電車や公共の場での赤ちゃんや、子供たちの存在、
どう考えていますか?
一概にはどうこうは言えないことと思いますが、
考えさせられる対照的な2つのコラムを見つけましたので、
今日はご紹介したいと思います!

以前もトルコは凄い国だとこのブログで紹介しましたが、
トルコ推薦ブログ、第二弾!
以下のトルコのエピソードを読んで
「そうそう、トルコはこういう国だよね」と思わずうなずいてしまいました。

ひとつは日本の話。「子供がうるさいので電車を降りてくれませんか?」
と母親に言った女性会社員のコラム。

そして、もうひとつはトルコでのエピソード
「乗り物で赤ちゃんが泣かない国もある」という記事。

そういえば、私も自分の子供が小さいとき、とても公共の場では気を使いました。
だから、この電車でのこの女性会社員がとったリアクションや、
忙しい時間には、子連れは電車などに乗るべきではないという無言の批難が、
まるで、我がことのように寒々しく感じられる気がします。。
確かに通勤時間帯に子連れで満員電車に乗るのはどうなのか、という意見もわかりますが、乗らざるを得ない人だっているかもしれません。
子供が躾のできる年齢か、また親御さんの態度にもよるのかもしれませんね。

でも、この迷惑がる人々の感覚って、もっと昔の日本にはなかったのではないかしら?
今の日本人の心にゆとりがなくなって、
経済ばかり優先される世の中になってしまったことが原因のように感じられます。。。
(母親業だって、りっぱな仕事ですから!)
日本がだんだんと味もそっけもない国になりそうでとても心配です。


以前トルコを旅したとき、人々に接して思ったのは、
知人、友人、家族、他人に関わらず、愛をもって人と接しているということ。
「愛」というほど、彼らにとっては大げさなものではなかったかもしれませんが、
互いへの思いやりというか、敬意というか、
とても人間らしく感じる場面がいっぱいありました。

そういえば、このトルコの記事の下に、
ある日本でのエピソードを紹介するコメントが寄せられていました。

朝の通勤客で混雑する満員のバスの車中で、赤ちゃんが泣き止まず困っているお母さんと、それに迷惑そうな視線を向ける通勤客。
たまりかねて、子連れの女性がバスを降りようとするとき、バスの乗務員が放送で、
「赤ちゃんは泣くのが当たり前なのだから、降りなくていいですよ」
と声をかけ、それをきっかけに「泣いている赤ちゃんが普通」「迷惑そうな視線を向ける方がおかしい」という雰囲気が車中に広がり、赤ちゃんも穏やかになったとか。
こういう人が日本にいてくれる知って、私はちょっとホッとしました。

私は子供を見ていると自然と頬がゆるんでしまうタイプなので、
あんまり目くじらを立てる人の気持ちはわかりませんが。。。
日頃から階段のベビーカーの乗り降りを手伝ったり、
また、病院で泣いているよその子供をこっそり笑わせることに、
ひとりゲーム的な喜びを見いだしています。
(大泣きする子供とお母さんの肩越しに目があったりすると…
たいていの子は、驚いて、自分を客観視できて?恥ずかしそうに隠れては、泣き止む(笑)
子供も社会の一員なんだと思う瞬間です。)

冒頭の会社員女性に欠けていたのは、他者への思いやり。
そしてあったのは、社会のルールという名目の、
自分への思いやり…のような気がしました。
自分以外のひとに、気持ちを注ぎ、共感できるかということ。
愛を持って人に接する事が、すべてのキーのような気がしました。

皆さんはどう感じましたか?
Mamiko
子供たちは世の宝、と思う今日この頃です。  Photograph from pouch.



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